![]() |
||
![]() |
|
|
|
その後、書面による正式な結婚の申し込みがあるまで、母親のマリア・テレジアは彼女を国王の妻になるための教育を始めました。なんといっても彼女はまだ子供。ウィーンのシェーンブルン宮殿の居間や庭園を、兄弟や友達と遊びまわっていたのです。 ウィーンの南西部に、ハプスブルク家の夏の宮殿であるシェーンブルン宮殿とその大庭園があります。マリー・アントワネットの母親であるマリア・テレジアによってこのシェーンブルンは改築されました。この宮殿は夏の離宮として使用されていたので、儀式のみに使用を限定していたヴェルサイユ宮殿とは違っていました。 優雅な少女になった13歳のマリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮殿から派遣された教育係の神父からさまざまなことを学びました。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
||
|
||||
![]() |
![]() |
![]() |
ウィーンを出発して8時間、アントワネット一行が最初の一夜を過ごしたメルクのベネディクト派修道院。ここではその夜、修道院の生徒たちによるオペラが上演されました。 しかし彼女は、ウィーンを出発した直後の不安のためか、ひどく悲しげな様子を見せたと記録に残っています。 世界有数の美しさを誇る大図書館、マリア・テレジアが寄進した司教服がいまも残っています。 |
||
![]() |
![]() |
一行が3日目の宿としたランバッハ修道院。ここでも、院内のバロック劇場で「結婚」という劇が行われました。 あまりにも無邪気に笑う彼女を、従僕がたしなめるという一幕もあったといいます。 この修道院にはマリア・テレジアから寄贈された、マリア・テレジアとアントワネットらの子供たちが刺繍した法衣が残っています。 |
||
![]() |
|
さまざまな町を経由したマリー・アントワネットは、フランスとの国境に作られた島でオーストリアから着てきたドレスを脱ぎ捨て、上から下までフランス製のものに着替え、晴れてフランスの貴婦人となったのです。 そして公式証書が読み上げられ、皇女はウィーンから付き添ってきた女官と別れて未来のフランス王妃、美しいフランスのバラになったのです。 |